echousa.org
トップページ
信仰告白
新しいいのちの成長の道序文
新しいいのちの成長における正しい道と誤った道(ラザロの死とよみがえりの図)
新しいいのちの成長図解
エペソ2:1-10の学び
新しいいのちの学び特別テーマ
質問と回答
お問い合せ
Copyright © 2007 echousa.org
All Rights Reserved.

内容のダウンロード使用に関して: 著作権は全てEchoUSAに属します。
非営利目的でのご使用を歓迎しますが、 必ずEchoUSAの名称をご明記ください。
新建网页 1

 

二、神によって生かされる(エペソ2:1、5)

 

3、サタンの支配下から御子の国へ移る

 

私たちが罪過と罪との中で死んでおり、まだ新生せず救われていない時の状況は、どうだったでしょうか? エペソ2章2節に「そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」とあります。私たちが主を信じる前は悪魔の支配下にいました。このことを私たちは理解していないかもしれませんが、全世界のどの国も悪しき者の権威のもとで支配されているのです。悪魔はこの世界の王であり、この世界の神です。彼は、世界を一つに治めており、多くの伝統や習慣もそれに含まれます。以前、私たちの生活の目的と目標は何でしたか?この世の流れに従うだけだったのではないでしょうか?人々は懸命になって求め続け、疲れ果てています。「どうしてそんなに疲れているの」と尋ねられても、「仕方がありません、みんながやっているから、私もそうしているだけです。」としか答えられません。しかし、それこそがこの世の流れに従うということではないでしょうか?

悪魔はこの空中の権威を持つ支配者であり、この世界の神であり、この世界の王です。悪魔は、私たちの心に働く悪霊によって、私たちをこの世の流れに従わせ、その権力下に生きるようにコントロールしています。

罪過と罪の中に死んでいた時、私たちは悪魔の支配下にいましたが、信仰によって、神は私たちを生かしてくださいました。私たちは主とともに死に、ともに葬られ、ともに復活し、「アダムにある」中から、「キリストのうち」へと移されました。アダムにあって、私たちは死に、葬られ、キリストにあって、私たちは生き返り、新しい人となりました。アダムにある間、私たちは悪魔の支配下で生活していましたが、キリストのうちにある今は、キリストが支配されている光の国に入ったのです。「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。(コロ1:13-14)」

「死からいのちに移る」救いにより、私たちはアダムからキリストのうちへ、サタンの支配と暗闇の力から、御子の国へと移ることができました。それは、キリストの血潮により、私たちの罪が赦され救われたからなのです。ハレルヤ!

 

 1、        主イエス・キリストは十字架上で、どのように悪魔に打ち勝ったのでしょうか?(コロ2:15

また、どのようにその死によって、死の力を持つ悪魔を滅ぼしたのでしょうか? (ヘブ2:14-15、黙1:17-18

1)アダムとエバが罪を犯したあと、全世界は悪魔の勢力範囲となり、その支配下におかれました。

2)神の救いのご計画とは、

▲神の預言:神は、すでに女の子孫(救い主)は蛇の頭(悪魔の頭)を踏み砕く。(創1:15より)」ことを宣言しました。

▲神は、救いのご計画を始められました。

▲▲神が人類のためにお立てになった救い主、イエス・キリストが誕生されました。

▲▲▲悪魔は、ヘロデ王を用いて、ベツレヘム近辺の2歳以下の男の子を殺し、イエスを殺そうとしましたが、成功しませんでした。

▲▲▲荒野で、悪魔は主イエスを試みました。イエス・キリストがこの世に来られた最大の目的は、悪魔からこの地上での支配権を取り戻すためだったからです。悪魔はイエスを試みた時に、このように言いました。「あなたが私を拝むなら、この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。(ルカ4:67より)」悪魔は試みによってイエスを失敗させようとしたのです。しかしイエスは、ご自身がこの世に来られたのは十字架にかかるためだとわかっていました。十字架によって、新しい人びとが生まれるためです。ですから、彼は悪魔を拝まず、悪魔は失敗しました。

▲▲▲イエスの一生を見ると、悪魔に絶えず試みられたことがわかります。ゲッセマネの園でも、主イエスは大声で祈り、涙を流し、死から逃れさせることがおできになる神に切に求めました。なぜでしょうか?それは悪魔がそこでもイエスを試みたからです。「あなたの弟子はあなたから離れ、ある者は裏切り、ある者は逃げ、ある者はあなたを否むでしょう。一週間前は、たくさんの人たちが『ホサナ。いと高き所に。(マタ21:9)』とあなたを支持したのに、あなたが十字架につけられる時には、ほとんど誰も十字架のそばにいません。あなたが愛するお母さんがそこにいるでしょうに、怖くないのですか?」等と。

しかし、感謝なことに、主イエスはすべての点で試みに会われましたが、罪は犯されませんでした(へブ4:15)。イエスは、父なる神に絶対的服従の態度をもって従い、すべての試みに打ち勝ちました。主イエスは、こう言われました。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために。』(ヘブ10:5-7)」「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり(へブ579)」ました。

3)神の救いのご計画の成功:イエスは十字架にかかる前に、こう言われました。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。(ヨハ12:23)」そして、主イエスは苦しみとはずかしめを受けて、血だらけで十字架に掛けられました。十字架の下は寂しく、彼の母、弟子のヨハネと幾人かの女性がいるだけでした。イエスはとても孤独であり、悲惨な状況でした。いったいどこに栄光があるのでしょうか?

ハレルヤ!しかし、霊的世界では、「地が揺れ動き、岩が裂けた(マタ27:51)」のです。十字架の上で息を引き取ろうとされ、もう終わりだという時に、主イエスはこう言われました。「完了した。(ヨハ19:30)」と。彼は、神が世界をお創りになる前から用意されていた救いを完成したのです。女の子孫は悪魔の頭を踏み砕いたのです。悪魔は策略を用い、罪の性質をもって全人類をコントロールしましたが、しかし、主イエスは死によって人類を罪から解放しました。願わくは、私たちが主イエス・キリストのゴルゴダでの勝利に目を留めることができますように。主は十字架の上で悪魔を打ち倒しました!!!ハレルヤ!!!十字架上で流された血潮と十字架上の死で、イエスは素晴らしいことを完成されました。悪魔とその手下たちを捕え、武装を解除し、公に辱め、勝利の行列の中で捕虜としたのです。ハレルヤ!神をほめたたえましょう。完了したのです。すべて完了したのです

▲ 「すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として(コロ2:15)」とはどういう意味でしょうか?「支配と権威」を指しているのは悪魔とその手下たちです。「捕虜」の意味は、武装を解除したということです。ですから「すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として」とは、悪魔とその家来たちの武装を解除したという意味になります。「さらしもの」にするとは、公に彼らを侮辱することです。「凱旋の行列に加えられました」とは、悪魔とその手下たちをイエスの勝利の行列の中で捕虜とすることです。

 

▲主イエスは、どのようにその死によって、死の力を持つ悪魔を滅ぼしたのでしょうか?

ヘブル214-15節「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」主イエス・キリストは十字架の上で死なれただけでなく、ハデスにも下られたことを感謝します!これこそが、神の御子が受肉しなければならなかった理由の一つなのです。神は死をつかさどる悪魔を滅ぼすため、死によって悪魔の領域あるいは死の領域に入らなければなりませんでした。滅ぼすとはどういうことでしょうか?滅ぼすとは消滅の意味ではなく、悪魔の力を無くさせる、または、悪魔の力を弱めて無力にさせることです。主イエスはどのように死をつかさどる悪魔を滅ぼしたのでしょうか?彼は死の領域に入り、ご自身の血と体の代価をもってサタンに勝利を宣告し、その権力を滅ぼし、死とハデスの鍵をサタンから奪い取り、イエスを信じるすべての人を解放しました。「それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。『恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。』(黙1:17-18)」

では、もし主イエスが十字架の上で死なず、十字架から飛び降りて生きておられるとしたら、どうでしょうか?ハデスに行き、また帰ってこられたのとでは、どのように違うでしょうか?もしそうなら、サタンの武装を解除することはできません。死をつかさどる悪魔を滅ぼすこともできません。そうです。もし主イエスが死ななかったなら、ハデスへ行かなかったなら、死の権威の下に入らなかったなら、ハデスの力に勝利することも、死の権威に打ち勝つこともできなかったでしょう。主が死んでよみがえられ、その手に死とハデスの鍵を持っておられることを感謝しましょう。「わたし(イエス)は死んだが、見よ、いつまでも生きている。」

2、主イエスが天に昇られ父なる神の右に座しておられることと、悪魔に勝利したことはなぜ重要なのでしょうか? エペ22、ピリ2:10

悪魔は空中の支配者であり、空中に相当の権威を持っていますが、イエスが復活して天に昇られた時、悪魔は彼を妨害することはできませんでした(ダニ10:1320参照)。主イエスが難なく天に昇られたことは、絶対的勝利を現しています。彼は、天に昇られ、宇宙で最も高い王座、神の王座の右に座しておられます。すべての政権も主権も支配も権威もはるかに越えられた所に座しておられるのです。

3、キリストが悪魔に勝利し、私たちを自由にしてくださったのに、なぜ、私たちはまだ恐れや疑い、落胆、そして失敗の中にいるのでしょうか?(マタ22:29、Ⅱコリ2:11)

主イエス・キリストは悪魔に打ち勝ち、悪魔の武装を完全に解除し、私たちを自由にしました。悪魔は私たちに何かをする権利はもうありません。しかし、なぜ私たちは今もしばしば恐れるのでしょうか?なぜ疑い、落胆し、失敗するのでしょうか? それは、悪魔がすでに敗北したことを知らず、その武装がすでにイエスにより解除されたことがわからず、主イエスの勝利を理解していないからです。また、悪魔は自分が敗北したことを知っていて、私たちに直接何かすることができないため、うそや隠れた策略を用いて私たちを試み、怖がらせ、恐れさせ、悪魔のわなに陥れるからです。

皆さん、私たちが勝利者であることをいつも覚えていてください!主イエスが勝利したので、私たちも信仰によってイエスにしっかりと結びつき、勝利者となりました。これはとても大切なことです。私たちはキリストとつながる勝利がわからないため、しばしば自分自身の力に頼って悪魔と戦い、その結果は失敗に終わります。もし、いつも信仰によって「ハレルヤ!イエスは勝利!イエスは勝利!」と宣言するなら、キリストとしっかりつながって勝利することができます。悪魔は私たちを恐れてはいません。彼が恐れているのは、私たちと結びついているイエスキリストなのです!

4、悪魔には二つの策略があります。それは何でしょうか? その策略のただ一つの目的とは何でしょうか?

悪魔にはどのような二つの策略があるのでしょうか?それは、外側と内側からの二つの策略です。

(1)外側からの策略には二種類あります。

▲ 一つ目は、ほえたける獅子のようにです(Ⅱペテ5:8)。たとえば、ある人は癌にかかり、すぐに死んでしまうと思って恐れます。また、何か思わぬ事態が発生すると、どうしよう!と慌てます。これこそ悪魔の策略です。しかし、神の子供である私たちは、天と地のすべての権威は主イエスの御手にあり、また父なる神の御支配のもとにあることを知っています。神は全知、全能、遍在のお方で、私たちの父であり、この方の許可がなければ、どんなことも私たちに降りかかることはないこと。私たちが出会うすべての試練は、私たちが耐えられないものではないこと。神が必ず脱出の道を備えてくださることを知っているのです。しかし、試練が来ると、私たちは悪魔におののき、悪魔を滅ぼしてくださいと必死に主を呼び求めるのですが、私たちと結びついていてくださる救い主を忘れてしまいます。私もあなたも小さい者ですが、私たちのキリストは勝利者です。私たちがキリストとつながれば必ず勝利し、つながらなければ失敗してしまうのです。

▲ほえたける獅子よりも恐ろしいのは、光の御使いに変装することです(Ⅱコリ11:14)。では、光の御使いに変装するとはどういうことでしょうか?

▲▲この世を愛すること。この世の迫害に遭う時、私たちは主を更に愛し、よりいっそう頼るようになると、ある人が言いました。しかし、ユダが口づけをもって主を裏切ったように、世界が私たちに口づけする時、イエスに頼らなくなってしまいます。しばしば状況が非常に厳しい時に、私たちは主を愛し、しっかりと主により頼みます。しかし、周りの環境がゆるやかになると、主に頼らなくなるのです。私が知っているある兄弟は、とても主を愛していました。彼は迫害され、叩かれても主イエスを信じると答えました。さらに、ぶたれてから「まだ信じるのか」と問われた時も、「信じます」と答えてその信念はゆらぎませんでした。しかし、迫害が終わり、彼の地位が次第に高くなると、名声と富を求めるようになり、主により頼むことを忘れてしまいました。これがサタンが光の御使いに変装する一面です。

▲異端が真理の道をまどわすこと。これも外側から来る策略です。

▲▲他にもとても手強い悪魔の策略があります。それは私たちが肉の力で、熱心に神に奉仕することです。私はこれが何よりも恐ろしいことだと思います。「私」が主役になり主に情熱を捧げ、自分に頼って熱心に奉仕し、教会を分裂させ、家庭に不和をもたらし、あらゆる問題を引き起こしてしまうのです。

2)では、悪魔の内側からの策略とはどんなものでしょうか?

▲心と思いの中で働く:心と思いを通して、誰かへの不平不満、苦い思い、憤り、怒り、傲慢、また、あらゆる事を心に抱かせます。これらのことをあなたの中で幾度も考えさせるので、それが心に巣くい、そこから根を下ろし芽が出ます。主のみことばを聞いて考えることはあまり多くないのに、あの人がどうだこうだ等といつも考えるようになり、憤り、怒り、叫び、苦い思いなどが心にはびこってしまいます。

▲私たちの良心に訴え、罪に定める:私たちが罪を犯した時、または、悪魔が私たちに罪悪感を感じさせる時、悪魔は私たちを訴えてこう言います。なんと、おまえは罪を犯したよ」と。皆さん、この悪魔の訴えと裁きとは私たちの間でとても大きな問題となっています。もし、あなたがこのホームページのメッセージを読んでいる間に、このような問題が起こったなら、どうぞメールで私たちにご連絡ください。私の訪れるほとんどの教会で、悪魔が人々の良心に訴え、裁いている出来事に出合っているのです。

私たちは、自分に罪があることを知っています。ダビデ王にも、ペテロにも罪があります。しかし、私たちが心から自分の罪を告白すれば、神は真実で正しいお方ですから、必ず私たちの罪を赦してくださいます。罪を告白した後、悪魔は無知な私たちにつけ込んで、毎回その罪の影に引っ張り込み、「クリスチャンなのに、まだこんななのか?伝道者なのに、このざまか!」と言います。皆さん、問題の鍵は、あなたが罪を告白したかどうかです。もし、きちんと告白したなら、サタンにこのように宣言しましょう。「神は真実で、正しいお方です。必ず私の罪を赦し、私の不義をきよめてくださいます。」それから賛美し、主の御名を崇め、サタンの訴えを無視してください。

3)悪魔の策略の目的とは:悪魔の策略は外側から来るほえたける獅子、また光の御使い、または内側の思いを通して繰り返し考えさせること、さばきの訴えなどありますが、すべての策略の目的はただ一つだけです。それは、私たちを神から離れさせ、キリストとのつながりから離れさせ、キリストとのつながりを忘れさせ、そして、キリストの勝利を忘れさせることです。

ある出来事に遭う時、私たちがもし自分中心に生きているなら、考えれば考えるほど怒ってしまい、キリストとつながることを忘れてしまいます。悪魔は私たちをキリストとの関係から立ち切ることができないことを知っているので、いろんな方法を用いてキリストにしっかりと結び付かないようにさせます。そうすれば、私たちはとても弱いクリスチャンになるからです。これらのことを信じますか?熱心に神に仕えたい時でも、主とつながることを忘れ、熱心さのゆえに怒ってしまう、そのような経験はないでしょうか?

5、黙示録210-11節にある悪魔に打ち勝つ土台とは何でしょうか?

私たちが悪魔に勝つ土台とは何ですか?「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。(黙12:10-11)」この聖句は、悪魔に打ち勝つ3つの土台を教えています。

1)小羊の血、すなわちイエスの血:もし、罪を犯したなら、大胆に神の御前で自分の罪を認めましょう。神は真実で、正しい方であり、そして、小羊の血は永遠に効果があるので、必ず私たちの罪を赦し、すべての不義をきよめてくださいます。罪を犯すことは恐ろしいことですが、しかし、罪を隠し認めないことはもっと恐ろしいのです。

2)自分の証のことば:心から罪を認めた後、次のような神のみことばを宣言します。「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。(103:12)」「あなたは、私のすべての咎を赦し、私のすべての病をいやす。(103:3参照)

私たちが罪を認めるならば、主は、「私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください(ミカ7:19)」ます。主に感謝し、賛美しましょう。

3「彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」

▲私たちは肉体の死を恐れ、死ぬことを恐れます。癌だと診断されると、非常に恐れます。今日、薬を飲み忘れると、怖くなります。それは死が怖いからです。ちゃんとした物を食べているのかどうか恐れるのも、いろんな病気にかかるのが怖いからです。結局は死が怖いのです(各方面に配慮してはいけないという意味ではなく、私たちは何か言い表せない「恐れ」に支配されているということを言いたいのです)。・・・・・・私たちは一生の間死を恐れ、その奴隷となってしまっています。

しかし、「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った」ので、主に感謝します。私たちの命は主の御手にあり、聖徒たちの死は主の目に尊い(詩11615)のです。私たちは神の赦される時が来る時まで、死ぬ資格はありません。神の御元に行くにも、神の許可が必要です。許可がないなら、入る資格はないのです。なぜなら、主イエスは死とハデスの鍵を持っておられるからです。これは神の摂理です。

▲古い人の死に対する恐れ:私たちは頭では私たちの古い人はすでにイエスとともに死に、ともに埋葬されたことを知っています。しかし、私たちはまだ古い人の死を願ってはいません。メンツを重んじ、理由を重んじ、いろいろなことにとらわれています。

皆さん、もし悪魔に打ち勝ちたいなら、「自分の命を惜しまず、死ななければならないのでしたら、死にます。」という気持ちが必要です。死ぬ覚悟があれば、悪魔はどんな策略を行なうこともできません。「主に感謝し、賛美します。イエスの血が私をきよめたので、死ぬべきなら死にます。メンツを捨てても構いません。死ぬべきなら死にます。病気で死ぬなら死んでもいいのです。」すると悪魔はどうすることもできません。ハレルヤ、「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」

私は今まで大きな病気で何度か死にかけました。また、死に至るような事件にも遭いました。でも死ぬ覚悟で悪魔に対処するなら、すべてにおいて必ず勝利できるということを証しさせていただけるので神に感謝します。もし私たちが恐れ、何度もどうしよう、どうしようと悩むなら、悪魔はとても喜びます。なぜなら、キリストとのつながりから遠ざかっていくからです。皆さん、もし、今何かサタンの攻撃があるなら、どうかすぐに「死ぬべきなら死にます。」と言ってください。あなたが命を惜しまないなら、効果てきめんです。サタンはあなたに何もすることができなくなるからです。感謝なことに、イエスの血が私たちをきよめてくださいます。自分の罪を認め、イエスの血できよめられたので、私たちはいつでも死ぬべきなら死ねます。外で獅子がほえたけようが、内側の心と思いがどう騒ごうが、死ぬべきなら死にます。メンツなんていりません。そのような覚悟でいれば、どんなことでも大丈夫です。

6、クリスチャンの勝利の秘訣とは何でしょうか?(Ⅰヨハ518、コロ2:2-39-10

「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラ2:20)」これこそがクリスチャン生活の勝利の秘訣です。私たちはキリストとつながっているため、キリストの勝利が私たちの勝利となりました。以前、「新しいいのちの学び26課」または「テーマ学習アウトライン」の中で「トラの威を借るキツネ」の話をしたことがあります。キツネとトラが一緒に歩く時、動物たちはキツネを恐れませんが、トラが怖いのでみな逃げていきます。しかし、キツネは威張って言いました。「見てください。みんなが私を恐れています。」・・・・・・そうでしょうか?今日、悪魔が恐れているのは私たちではなく、私たちとともにおられるキリストなのです。私たちがすべてにおいて主としっかりとつながるなら、悪魔は逃げ去るのです。主は永遠に勝利を取られました。主に感謝し、主を賛美しましょう。

私がよくお話するのは次のようなたとえです。私と主がともに部屋の中で坐っていると、悪魔が来てドアを敲きました。誰がドアを開けに行きますか?もちろん主イエスです!しかし、多くの場合問題が起こると(それは、まるで悪魔がドアを敲くようです)、私たちは自分の頭で色々と考え始め、恐れだします。何かをせずにはいられなくなり、そして失敗してしまいます。失敗するのは、私たちが何かをしようとするからです。私たちは動かずに、イエスにドアを開けていただけば良いのです。イエスが動き出すと、隙間からのぞいていた悪魔はすぐに逃げ出します。なぜなら、悪魔の武装を解除し、彼らを公に侮辱したイエスがそこにいるからです。彼らはイエスの勝利の行列の捕虜ですから、イエスの前に立つことなどできるはずがないのです。願わくは、聖霊が私たちにイエスの勝利を思い起こさせてくださいますように。イエスはゴルゴタで勝利を取られ、すでに悪魔の武装を解除されました。主を賛美しましょう!

7、なぜ「神に従うこと」と「堅い信仰」が悪魔に対抗する方法なのでしょうか?(ヤコ47、ガラ220、詩1844、Ⅰヨハ3:8) いかにして、悪魔からの良心への訴えと裁きに打ち勝つことができるでしょうか?(Ⅰヨハ1:9、ガラ2:16-17、コロ3:14

悪魔に対抗する方法とは、勝利のキリストとつながることです。では、なぜ「神に従うこと」と「堅い信仰」が悪魔に対抗する方法なのでしょうか?
(1)「神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコ4:7)」とみことばにあるように、私たちは、自分の力で悪魔に対抗するのではなく、「神に従うこと」によって対抗します。

また「彼らは、耳で聞くとすぐ、私の言うことを聞き入れます。(18:4)」とあるように、私たちは「主よ、あなたのなさることはみな良いことです。感謝します。主に不可能なことはありません。獅子がほえたけようが、何が起ろうとも、イエスを賛美します!」と告白して主を崇め、主を高く掲げます。

私たちが主を崇め、神に従うなら、すなわち、キリストとつながるならば、悪魔はすぐに逃げ去るのです。

(2)「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。(Ⅰペテ5:8-9)

堅い信仰とは「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」と信じることです。たとえ、悪魔がほえたける獅子のようであっても、光の御使いのようであっても、また、思いを通して私たちの内側に入ってきても、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」と喜んで宣言しましょう。こう宣言すれば、悪魔はすぐに逃げ出します。悪魔は色々な策略を用いて私たちを誘惑し、私たちがキリストとつながる秘訣を知っているかどうかを見ています。この秘訣を覚えているかどうか試しているのです。もう一度言いますが、主イエス・キリストはゴルゴタで、すでに悪魔に勝利されたのです。しかし、悪魔は恐れや思いをもって、私たちに勝利のイエスとのつながりを忘れるようにさせ、私たちを弱いクリスチャンにしようとします。

私たちはこのように宣言しましょう。「イエスが私たちのうちに生きておられます。すべて主がなさることは正しく、良いことです。なぜかと理由を聞かず、主が間違われるわけがないことをただ信じます。神は私のために惜しまずに御子の命をお与えになられたのですから、他に何か悪いことなどがあるでしょうか?悪いことは一つもないはずです。イエスを賛美します!私には理解できないことが多くありますが、わからなくともそれでいいのです。ただ神のなさることはすべて正しく、良いのだと信じます。」こう宣言すれば、悪魔は隙をつくことができなくなります。

3)私たちの内側で良心が私たちを訴え、罪に定め、どうするのだ?と聞く時があります。例えば、おまえは若い頃、悪い思いがあっただろ?不品行の思いがあっただろ?悪魔と関わったことがあっただろ?それなのに、よくも伝道者として勤まるね?と・・・・・・私たちは、このような訴えにどのように勝利することができるのでしょうか?

▲悪魔が訴えた私のことは確かに良くない、罪を犯すことはいけない、悪魔との関わりも悪い・・・・・・と大胆に認め、同意します。

▲その後イエスに向かい、私たちの避け所である神に対し罪を言い表わします(とても大切なことは、悪魔には私たちに罪を認めさせる資格がないと理解することです。悪魔に対して罪を言い表わす必要は全くなく、ただ神にのみ言い表わすべきです。)。私たちは信仰によって義と認められたのですから、心から神にこう言うべきです。「そうです。私はたしかに悪い者で、間違っていました。私の問題を指摘し、私がどんな者なのかさらけ出してくださり、感謝します。」

▲しっかりと神の約束を握って、次のように大胆に宣言し、神の赦しの恵みを受け入れましょう。「私は主に感謝し、自分の罪を言い表わします。神は真実で、正しい方ですから、必ず私の罪を赦し、すべての悪から私をきよめてくださると信じます。」

8、エペソ610-18節の中で、悪魔の策略に対抗して「主にあって堅く立つ」とはどういう意味でしょうか? エペ614、Ⅰコリ15:116:13、Ⅰペテ512、Ⅱコリ1:24
  ある人たちは吠えたける獅子のそばを通っても怖くありませんが、悪魔の策略にひっかかり、異端に惑わされてしまいます。ある人たちは異端に抵抗できましたが、情欲のとりことなりました。またある人は、情欲に陥って抜け出せない人を助けようとして、かえって自分もその中に陥ってしまいました。

ですから、悪魔に対抗するはじめの一歩は、しっかりと立ち続けることです。パウロは言いました。「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。(Ⅰテサ3:8)」「堅く立つ」ことはとても大切ですから、何に堅く立つのかよく理解しなければなりません。そうでなければ次のみことばの様になってしまいます。「あなたがたは、ぶよは、こして除くが、らくだはのみこんでいます。(マタ23:24)」

1)真理の上に堅く立ちます。それには真理が何かをしっかり理解する必要があります。時に、私たちは真理を守っているつもりで、実際にはささいな事で争っています。「聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう・・・」(ユダ3)「目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。(Ⅰコリ16:13)」

2)神の恵みの上に堅く立ちます。「これが神の真の恵みであることをあかししました。この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。(Ⅰペテ5:12)」私たちは神の恵みにより堅く立ちます。自分自身の努力と労苦によるのではありません。悪魔に対抗する時に、私たちの最大の戦いの武器は、イエス・キリストの勝利です。私たちは勝利したキリストとつながっているのですから、勝利者となるのです。

3)信仰によって堅く立ちます。「私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために働く協力者です。あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。(Ⅰコリ1:24)」主イエスが成就された救いのみわざは、「恵みにより、また信仰による」ものです。つまり神が私たちにお与えになった恵みを、信仰によって受け取るのです(自分の知恵やかしこさ、分析に頼るのではなく、信仰による態度です)。私たちは、信仰によって従い、悪魔に勝利するのです。

多くの人はどのように悪魔に勝利しようとするでしょうか?朝から晩まで一日中祈り、顔は痩せこけ、骨と皮になり、ずっと主に悪魔を縛ってくださいと叫び続け・・・これでは疲れてしまいます。このような人は真理の上に堅く立っていません。では、私たちはどのように悪魔に勝利するのでしょうか?それは神に従うことにより、イエスの勝利によってです。先程もお話したように、部屋に悪魔がやって来てドアをノックするとき、私たちは自分で走り寄り、悪魔に抵抗しようとします。「イエスさま、手伝ってください。あなたも来て、私を手伝ってください。来て悪魔と戦ってください。」と叫びます。するとイエスが言われるのです。「あなたは座ってください。何もしなくていいのです。神の恵みの上にしっかりと立っていなさい。何もせずに、お座りなさい。私にさせなさい。」ですから、私たちは信仰をもって次のように言うべきです。「私はキリストとともに死にましたから、キリストとともに生きると信じます。」そして、私たちは立ち止まり、静まって動かず、主にしていただきましょう。主ご自身が対処してくださいます。これが堅く立つということです。

主に心からの感謝を捧げます。私たちは以前、悪魔の下におり、この世の流れに従っていましたが、イエス・キリストの「死からいのちに移る」みわざにより、アダムからキリストへと移されました。私たちはサタンの支配下から御子の国へと移されたのです。主イエス・キリストご自身が十字架の上で悪魔に勝利され、その主イエス・キリストの勝利が私たちの勝利となるのです。イエスとつぎ合わされたことにより、すべてにおいて余りある勝利が私たちにも与えられるのですから、イエスを賛美しましょう。

 

祈りましょう:主よ、私たちは心から感謝の気持ちでいっぱいです。すべては恵みにより、また信仰によります。主よ、あなたは私たちに何かをするようにとは要求なさいません。悪魔に打ち勝つことさえも私たちにはできません。私たちに必要なのはあなたの勝利とつながり、キリストとつぎ合わされることです。そうすれば、あなたの勝利が私たちの勝利となります。主よ、あなたがすでに悪魔の武装を解除されたことを私たちに見せてください。主よ!あなたはすでに悪魔をさらしものとし、あなたの勝利の行列の中で捕虜としました。私たちに永遠にあなたの勝利を高く掲げさせてください。主よ、ありがとうございます。主よ、私たちをイエス・キリストの恵みの上に、信仰に、そして真理の道に堅く立たせてくださることを感謝します。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン!

 


2